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海外の知りあいに伊藤詩織さん事件を紹介してみた
2018/06/29 23:06 | 社会 | C:0 | T: 0
伊藤詩織さんのニュースがBBCで放送されたそうです。
同じような苦しみを持つ人はたくさんいるから、私はこの放送はとても嬉しかったです。

放送のかなり前から英語の記事はありました。

https://www.tokyoweekender.com/2018/02/shiori-ito-face-metoo-movement-japan-speaks/

↑の紹介記事を、一か月くらい前に海外でジェンダー問題に詳しい知り合い(ヨーロッパ在住)に紹介しました。
特に、日本の司法が死んでいるんだ、ということを強調して伝えました。

返事メールを頂き、その一部を日本語に訳したものが下の文章です。

うん、これは本当にひどいケースのように見えるね。
この事件の劇的な特徴は、変化の中で人々を二度考えさせて動かすのにとても適しているだろう。Shiori Itoが自分の名前を出して活動しているジャーナリストであるという事実は、彼女を必要なすべてのステップ、メディア、政治、裁判システムに踏み込むことができるようにさせて、その中でとても役立つだろう。
私は世界中でこのストーリーがどんな風に広まっていくかインターネットで見ることができるよ。


って返事でした。
彼は20年ほど前に日本に来たことがあり、その頃に比べたら日本のジェンダー問題はLGBTの問題などについては少しずつ良くなっているのではないか、とのことでした。

日本の中だけだとどうだかわかりませんが、世界のニュースを見ているといろいろなところでジェンダーの問題の対応はひっきりなしに変化があり、追っていくのは大変なくらいです。
日本は、進んでいるところに比べると相当に遅れており、恐らく伊藤詩織さんのこの事件も相当に注目されることになると思います。
彼女の身の安全を願いつつ、ご活躍を祈ります。

私は英語もへたくそだし、やっとのことがんばって簡単な会話ができる程度だけど、なるべく、少ない機会を利用して、「放射能問題」と「ジェンダー問題」については、海外の人と会話ができるようになりたいなー。
そして、相変わらず感じるのは、「日本語ニュースの不確かさ」なんです。
日本語で海外の事件を見ていると、恐ろしい誤訳みたいのが多く、いやになる。。。
日本語しか見ていない人は、全員だまされているのか。。。

関連のある過去記事
http://gosenshitosyukiritsu.blog.fc2.com/blog-entry-352.html
人間として生まれて
2018/04/24 00:35 | 女性問題 | C:0 | T: 0
私はこの地球に、人間として生まれたんですよ。
誰も、生まれた時には人類にはAタイプとBタイプと(Cタイプと・・・)あるなんてはじめから知っている人はいません。
保育園に行く頃、なんとなく人類には大まかに見てAタイプとBタイプがあると知っても、それが自分にそんなに影響がある事だとは考えませんでした。
小学生になり、なんとなく自分と同じタイプの子供たちと仲が良くなることが多くなったとしても、まだみんな混ざって缶けりをしたりザリガニ釣りをしたりしていました。

「タイプ」を意識したのは、小学生の時の母の言葉でした。
「Pさん(近所の友人のお母さん)はずっと長く同じ会社に勤め続けているのよ、Bタイプだから会社で偉くはなれないけど。」
と母は言いました。
私は疑問に思って聞きました。「どうしてBタイプだと偉くなれないの?」
母は、「そういうものなんだよ」と言い、それ以上は聞いても何も教えてくれませんでした。
自分もBタイプです。
タイプによって、なんだか子供の将来は違いがあるらしいぞ。その時小学生の私は、なんだか自分にその時まで気付かなかったあざのようなものがあることを知ったのです。

母は「タイプ」を意識して子育てをする人だったようで、いつも私は「あなたはBタイプなんだからこうしなさい、ああしなさい」と言われていました。(それはずっと続き、例えば法事などの行事があると母は「年齢に関係なくAタイプの子は前に、Bタイプの子は後ろに行きなさい」と指定しました。進学にもAタイプの子供の進学は認めてもBタイプの子が同じ学校に行くのを反対したこともあったようです。Aタイプの子供には料理を教えませんでした。)
もちろん早熟な子供だったら、言われなくても率先して「タイプ」らしくしようとして、別のタイプの子と恋愛したりしたんでしょうね。
私はそういうのに鈍感だったし、「なぜ?」とすぐ考える子供だったらしく、いつも質問して常識派の母を困らせていたようです。

どうやら自分はBタイプということで、母が言う「Bタイプらしく」しないと世間ではまずいらしい。Bタイプだといつも意識して、引っ込んでいた方がいいらしいし、なんだかいろいろと気を使わないといけないらしいぞ。面倒くさいことになったな。そんな区別なければいいのにな。
と思っていました。もちろん料理などは子供のころから好きだったのでお手伝いはやる方だったのですが、それ以外の部分でいろいろとお互い大変だったのです。
とにかく自分は人間としてこれまで生きてきたのであって、世間で一般的に後回しにされる、少し劣った存在という位置づけのタイプであるというのは知りませんでしたから、相当ショックでした。
自分が人より優れているなんて思ったことは一度もありません、むしろ出来は悪かったです。
そうじゃなく、生まれつきBタイプだからこうしなければいけないと、母に激しく言われたことがショックだったのです。
確かに見まわしてみると、何かとBタイプよりAタイプの方が丁重に扱われている様であり、例えば自分が進学する予定の中学校をのぞいてみると、朝礼ではAタイプが前の方に、Bタイプが後ろの方に整列していました。Bタイプのほうがたいてい背が低いのに。

普通はみんな恋愛とかを経て自分の「タイプ」に納得したり反発したり、磨きをかけようとしたりするんでしょうね。
私もAタイプの人を好きになったりはしましたけど、見回せばBタイプでも素敵な先輩はいるし、人間の素敵さにはあまりタイプは関係ないような気もしました。

もう一つ、小学生時代に気づいた自分のあざ。それは自分も含まれる「有色人種」というものが白人に比べて不利な立場であり、差別というものがある地域があるのだ、ということ。
恐らくそれは父から聞いたのだと思います。
父は何度か海外に行っていました。そして、日本人は「名誉白人」と呼ばれているのだ、だからまあ少しはましなのかもしれないが、、、という様な事を最後に言っていました。
何しろ私が小学生の時の話ですから大昔の話ですがね。
私は自分がBタイプであることもなかなかに大変なのにその上さらにそんなものまであるのかと思ったらしく、すごく印象に残りました。
私は何故Bタイプだと世間で特定の枠を押し付けられている様なのかずっと疑問に思っていたのですが、そういう事に納得する答をくれる人は周りにだれもいませんでした。
当時、性教育みたいなことも学校でないに等しくて、更にうちの親もほとんど聞いても何も教えてくれませんでした。母は私に漫画を読むことを禁じていたので、たまに友達に借りる以外はそういうものからもなかなか情報が入ってこない状態でした。
友達に聞いても、ごく一部を除いて、疑問にすら思わないような人が多かったです。
そうしたら、当然のように、本を読んで答えを探そうとするでしょう。

高校生になって、本屋で「女性問題」の様なテーマの本を買って、その参考文献に書いてあったボーヴォワールの「第二の性」を買って読むことになるのですが。
隅から隅までおもしろく読みましたね。
そして、その中に出てくる「女性器切除」の話で激しいショックを受けました。(現在はFGMと呼ばれているらしいです)
割礼、なんていう生易しいものじゃないのです。
余談ですが、日本ではこういう事自体知らない人が多いみたいで、その後友人にこういう事があるの知ってる?って聞いてもよく本を読んでいる友達以外は知らないって言っていました。
しかも悲惨な女性器切除のメリットは女性にはまったく無いのに。
なんだか、Bタイプだっていう事は世界の中でも結構大変な事らしいぞ、、、私の膝はがくがくふるえていたのです、、、っていうのは大げさですけどね。

だけど、自分は人間なんだー!と、お天道様に両手を差し出して、さあこれからなにをしようかーと思っていたところにいろいろと面倒くさいことがあるということがわかり始めた状態でした。
この問題はその後もずっと続いたのですが、例えばある知り合いは実家がお寺だったのですがこんなことを言いました。
「仏教ではBタイプはAタイプより劣っているって教えがあるんですよ」 と、その人はその教えを信じており、自分のAタイプの配偶者に従っていました。
学生の時のAタイプの友人は「結婚するならAタイプを立ててくれるようなBタイプが良い」と言いました。
Aタイプは同じ人間なんだろ?なんで立てるの? おかしくない?その心理なに? とも思いましたし、誰も好き好んでBタイプ、Aタイプと選んで生まれてきたわけじゃないのに、なんかいろいろとおかしい。と、私は思っていたのでした。
テレビドラマを見れば、夫婦の会話はBタイプがAタイプに話す時だけが敬語だったり、、、バイト先ではAタイプ上司ばかりで、BタイプはAより能力が劣っていると上司は平然と言いました。

そして更に面倒くさいことに、通学路や電車の中で私は何度もAタイプからの痴漢にあったことがあり、この時の嫌悪感と恐怖は何十年経っても忘れられない程、思い出すたびに今でもむかむかします。
最近よくセクハラの事件があるとまた思い出し、何気なくこの記事を書き始めたのですが、私のような目立たない、よわっちそうな力もないやつはバイト中でも本当にひどい目に合うのです。
一度、音楽の勉強のためにと思い生演奏のあるレストランでウエイトレスの様なバイトをしていた時など、閉店時に酔った客に服の中に手を突っ込まれ、下着を引きずり出されました。
ぎゃーと叫びましたが、そういう下品な客はさっさといなくなります、慣れているのです。
店主の奥さんにそのことを話すと、「殴ってやればよかったのに」といわれました。
電車の中でもひどい目にあいました。
とにかく、自分の体は自分自身なのです。気持ちの悪い感触は何十年も消せないのです。
そんな身の毛もよだつようなひどいことを、しかも自分より力も強いタイプの人間にされて、反撃もできずに逃げられてしまった、、、なんて悔しいんだろう! 今からでも仕返しできるなら、後ろからバットで殴りたいです。何百回も思い出して苦しい思いをしました。

しかも私は音楽の勉強のために音楽関係の社会人サークルなどにもよく行っていたのですが、そういう所にも音楽の話をしながら暴力的に触ってくる、自分は上の立場だからそういう事をしてもいいと思っているらしいAタイプがおり、そういう所は懲りてもう2度と行きませんが恐ろしい思いをしました。
とにかく体力的にはAタイプにかなわないということ、どんな集団にでも中心部にいるのはたいていAタイプであること、何をするにしても必ず関わり合いにならざるを得ないこと。それは本当に肝を冷やす恐ろしいことで、私は「Aタイプ嫌い」になってしまったようです。
とにかく自分が信頼できると思ったほんの一握り以外は、Aタイプだと言うだけで恐ろしい、近づきたくない。

もちろんボーヴォワール以外も読みましたけど、「Aタイプに嫌なことをされてもこんな風に受け流せばうまくいく」なんてことが書いてあったとしてもなんでそんな恐ろしい嘘を自分につき続けながらそんな奴と一緒にいなければいけないの? という風に考えてしまう。

もちろん、信頼できる本当に素晴らしいAタイプの人間が自分の近くにいたから、だから自分は幸せなんだし、Bタイプもまんざらではないんだとも最終的に思っているわけですが。そして、素晴らしい人間はAでもBでもなんでもいいんだと。

私が大人になってから体験した様々な差別、例えば外国に行ったときに聞いたり感じた人種の問題などは、Aタイプ、Bタイプの問題の大変さに比べたらたいしたことじゃないような気もし、あまり気になりません。
また、差別で不当な扱いを受けている人がいたら、同情の気持ちが強いです。

世の中では、大人になってから人間と人間の無垢なお付き合い、というのはどうやらまれで、Aタイプなのか(Bまたは他タイプなのか)、他その人の色々な条件で相手への態度を決めている様なのです。
私は音楽に関わっていたから、まだそういうことに縛られない人づきあいができていたんだろうな、その点はきっと幸せだったのでしょう。

私は人間として生まれて、この体にこの脳みそを授かってなんとか考えつつ今まで生きてきたわけで、まず「Bタイプ」ではないんです。人間なんです。

この記事を読んでくださっている方がもしいるとして、その方がAタイプだったとしたら、もしBタイプに生まれていたらどうしますか?
自分でどちらに生まれるか選ぶことはおそらくできないんです。

私にはこう見えています。
私は自分で選んだわけではなく、Bタイプに生まれてしまった。このタイプが不幸だ幸せだと思う事とは別に、この様に生まれてしまった、だけど私はまず人間だ。

世間には同じ人間でもAタイプという、力はBより非常に強いのに若干暴力的で、許可なくBタイプの体に気持ち悪く触って傷つけたり侮辱する言葉を投げつけたりする人間が含まれる種類がいる。
たまたま自分がAタイプという体力的に強いタイプに生まれた事、Aタイプの性欲がBタイプとの接触で満たされる傾向がある事から、Bタイプの許可なく(Bタイプの人間としての気持ちにお構いなく)自分の要求を満たすために暴力的にふるまおうとし、それを悪い事とも思わない人がいる。(逆もあるだろう)

もちろん、信頼できて、人間として本当に素晴らしいAタイプもいる。だけど一見しただけではわからない。
もし自分が一瞬でも油断してAタイプから傷つけられることになったら体力差が大きいだけに本当に恐ろしい目に合うことは確かなことだ。(その点が、ひどいBタイプによる被害と違うところ)

日本では、Aタイプの偉い人、特に年配の人は自分はたまたまAタイプに生まれたことで考えないで済んでいること、もしBタイプに生まれていたら直面していた色々な問題のことを想像できていないんじゃないか。そう思う人がいる。(全部ではないが)

もう自分はだんだんと年取って、振り返って考えることもできるけど、若い頃のことを思い出すと、うひゃ―っていう事がいっぱいあって。
そんな思い誰もせず、一人の人間だっていうプライドを傷つけられることなく誰もが生きていけるようになってほしい。

私には男だ、女だ、というのは幻想に見えるのです。
その言葉でイメージされるもの、それは現実にはないものなんじゃないかな、と思います。
でっち上げて酔っている人とは距離を置きたいと思います。

あるのは、あなたという人間、私という人間、あなたが私を同じ人間として扱ってくれるか、または自分の要求を満たすために物やペットと同じように扱うか、ということだと思います。
高畑勲さん ありがとうございました。追記あり
2018/04/06 15:30 | アート | C:0 | T: 0
スタジオジブリの高畑勲監督が4月5日に亡くなったそうです。
うわー、なんだか見たアニメとともにいろいろなことを思い出してしまいます。
大好きなアニメがたくさんあるんです。

高畑勲監督、沢山の素晴らしい作品をありがとうございました。
自分にとって一生忘れられない、沢山の作品たちでした。

「赤毛のアン」ものすごく好きでした。
始りの音楽も良かったなー、桜が満開に咲いているところを通ると、赤毛のアンの花が咲き乱れる中を馬車で抜けてゆくシーンをいつも思い出します。
ほんの数日前も近所の桜並木が美しいと思いながらそのシーンを思い出していたのでした。

順不同になるけど「母をたずねて三千里」も好きだったなあ。
もう一回見たいなあ。音楽もはっきり覚えている。
小さなマルコが瓶を洗っているアルバイトをしているシーンとか、旅芸人の人達と一緒にいて、女の子が操り人形の練習をしているシーンとか、よく覚えています。

「火垂るの墓」も、原作の小説の独特の文体とともになんだか忘れられない衝撃が残っています。
自分の親から聞いた戦争の記憶などもかぶってきて、妙に生々しく、まるで自分の経験の一部のようです。

「おもひでぽろぽろ」も、他のと比べてあまり話題に出ない気もするけど、妙に自分の想い出とかぶってよく思い出すんです。
主人公が子供の時に、商店街で少女雑誌を手にたたずんでいる、そして友達を見ているシーンとか。
ベニバナ染めの美しい淡いピンク色とか。
自分はイズミヤのクッキーが大好きだったからそれっぽい箱を持って行くところとか、お手伝いに行った先の男性の言葉の訛り方がかわいかったなーとか、自分が好きなもの、例えば植物、田んぼ、雑草、クッキー、電車からの田舎の景色、なんてのがいっぱい出てきてそれが自分で手で触ったみたいに感じられました。

大好きだった未来少年コナンも関わっていらっしゃったのですね。
なんだか昔自分の好きだったアニメのほとんどって感じです。
あの、目を閉じた時に、うわーっと瞼の裏に広がる感動の嵐、美しさが自分の経験みたいに感じられて胸の奥がツーンとする感じ。
絵画の様には精密じゃないとしても、まるで案の馬車が通った音と匂いがあって、木漏れ日があって、コナンの残され島の砂のざらざらした感じ、塩を含んだ風の感じまで実際にある様に感じられました。

あー、ため息が出てしまいます。
最近のアニメもたまに見ることあるけど、情景がとっても細かく現実的になり、技術の進歩はすごいなあって思います。

でも、なぜか私は少し昔のアニメの、直に自分の視神経と聴覚にピリピリと大雑把でも手作り感のある刺激を送ってきて、脳みその中に暖かく五感を再現させるみたいな伝え方の方が好きだなあ。

人間が、皮の袋でその中に血肉があって、今自分がいる所と同じように、例えば動いて何かにぶつかれば衝撃があって、痛みがあって、変形があって、そういう感覚が感じられるアニメを見ていきたいな。
すごいアクションをしながら物質としての肉、血液、皮がその加速度を受けていないと感じられる映像は、これは現実ではないな、と思う、ってよく考えます。
自分の持っている現実感に素直になろうと、無理をしない様にしようとすると、やっぱり昔のアニメを見てしまします。

高畑勲さん、どうか安らかにお眠り下さい。

(ブログ休止中なのですがちょっと書きました。)

5/19追記
高畑勲監督の追悼企画などを見たことがきっかけで、ふと火垂るの墓をもう一回見たくなりました。
全部見る時間は無かったのですが、前半だけ久しぶりに見ました。
前見た時にはあまり深く感じなかったことが印象に残りました。
それは、冒頭、主人公が三ノ宮の駅に座っているシーンなのですが、、、通行人が主人公に気づいて、まるで汚いものを避けるように避けて通ります。
そのシーンを見て思い出しのです。
5年ほど前、東京のJR中央線のある駅で、お手洗いの前にあおむけに男の人が倒れていて、その前をトイレに入る人も出た人もみんな避けて通っていた、私の見た現実とうり二つなんです。
たくさんの人通りがあるのにみんな避けて通る。
きちんとスーツ着ていて酔っ払いに見えなかったし、私は反射的に小走りに駅員さんの所に行って、倒れている人がいる、と伝えると、駅員さんがすごく嫌そうな顔をしました。
その後駅員さんは運んでくれました。

その、人が倒れていた光景、結局、70年前も、今も、まったく変わらない、日本の風景がアニメに映し出されていたのだ、と、気づきました。
たまに神戸三ノ宮駅には行くことがあります。
どういうわけか、神戸は自分からは決して遊びに行こうなどと思わなかったのですが、何故か昔から近くに出張があってついでに寄ったり、何かの用事などで行くめぐりあわせになることが多い町なのです。
行くたびに、たいてい三ノ宮近くは通るのですが、町が何か伝えたがっているような、妙な気分にさせられます。
自分にとって印象深い、かかわりを持つ方達も、神戸に関係していることが多くて、不思議な不思議な街です。
「過去の原発事故では見つからなかったセシウムボール。」??? ホットパーティクルとどう違うの?
2018/03/08 08:51 | 原発 | C:0 | T: 0
「過去の原発事故では見つからなかったセシウムボール。」??? ホットパーティクルとどう違うの?

ブログ休止と言っておきながら、疑問を感じる記事を見てしまったので手短に書くことにしました。
ニュースで福島で「セシウムボール」というものが見つかったことについて触れていました。

http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye3309836.html

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180307-00000040-jnn-soci

これ、他の方も以前指摘していたのを見たけど、セシウム以外の放射性物質も入っているはずだし、観測しやすいセシウムだけの名前を付けるのってなんか誤解されそうに感じました。
そして、「過去の原発事故では見つからなかった」ってあるけど、チェルノブイリ事故の時のホットパーティクルの記事を過去にたくさん見たけど、あれとどう違うのかよくわかりません。
組成? 大きさ?

chernobyl hot particles で検索すると。
"チェルノブイリ事故のすぐ後に旧ソ連やヨーロッパのたくさんの場所の地面で発見された、「小さな放射性の個体の粒子」"
という文章を見ます。(例↓ この文献は読んでいません)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0265931X9390063D

福島のはセラミックとのことで、いろいろな元素が混ざっているわけだし、チェルノブイリのホットパーティクルもそうだし。

福島についても、初期からいろいろな放射性物質含有の微粒子について、沢山の方が報告してくださっていました。
関東でホットパーティクルが発見された話も。
https://www.youtube.com/watch?v=ZfwJb5fYzEY
(上の動画で53:15の所を見て頂くと、東京のホットパーティクルをクリス・バズビーさんが調べた報告を生井兵治さんが紹介してくださっています。最大0.5mmという事なら肉眼で見えますよね。)

このブログでも以前この動画をお勧めさせて頂きました。
http://gosenshitosyukiritsu.blog.fc2.com/blog-entry-42.html
生井氏は動画で、ホットパーティクルを吸い込んでしまうから子供が汚染地で運動なんてとんでもないことだと言ってくれていました。

そして、放射性の微粒子を吸い込んだら鼻血の原因になったりするのではないかという人がいる中に、「昆布を鼻に詰めて鼻血が出るか実験しろ」なんてことを言っていた方は、この様に目で見えるセシウムボールが報告されたのですから、もちろんご自分の鼻に最大のセシウムボールをたくさん詰めてどうなるか実験してくださるのでしょうね???

http://gosenshitosyukiritsu.blog.fc2.com/blog-entry-150.html

今まで危険を警告してくださっていた方を貶めていた方達は、言いっぱなしなんでしょうか。
危険を言っていた人たちを馬鹿にしていた人たちは、その背後にある、そういう危ない微粒子を子供が目、鼻、肺などに入れたことを心配して言っていたっていうことを知っていっていたのでしょうね!!!
責任取るのでしょうね。

ニュースの「過去の原発事故では見つからなかったセシウムボール。」っていう言い方もやもやします。
研究者の方達の間で、その言葉に対して明確な定義があるんでしょうけど、どっちも原発事故による放射性物質を含む、しかも核種は一つじゃなくて色々混合されている、っていう事と、粒子であるというところは同じなのですから、ちゃんと明らかにしないで、過去の原発事故では見つからなかったなんて明言するのは不親切に感じました。

しかも、去年の段階で、事故から7年経ってもまだ川の水から確実に放射性微粒子が見つかる状態で、事故直後から福島の川の水を(水源として)飲んだり野菜にかけたりしていた人たちはどうなったんですかね。川にあるっていう事は当然たくさん地面に落ちているだろうに、それを吸った人はどうなんでしょう。そういうのを防ぐためにマスクを説いていた人もいたのに、マスクさせなかった大人たちもいたんだよね。

(走り書きで失礼しました)
ひな祭りの日に読んだReuterの記事で「慰安婦問題」を考えた
2018/03/04 01:21 | 戦争 | C:2 | T: 0
今日はひな祭り。
少し前に桜餅風味のおいしいおまんじゅうを友人に食べさせてもらったので、今日は和菓子は無しだけどいい感じの一日でした。

さりげなくReutersのサイトでJapan Headlinesを見たら、一番上の記事がこれでした。(3/1)

https://www.reuters.com/article/us-southkorea-independenceday/south-korean-president-lashes-japan-over-wartime-use-of-comfort-women-idUSKCN1GD3J1

タイトルは、
South Korean president lashes Japan over wartime use of 'comfort women'(原文の引用は紫色で書きます。)
ざっと読んで印象に残ったのは、まず、慰安婦って言葉、日本の湾曲表現っていう位置づけなんだねー・・・
the use of“comfort women”, Japan’s euphemism for women - many of them Korean - forced to work in its wartime brothels.
より。

文大統領のスピーチの引用は、
A genuine resolution of unfortunate history is to remember it and learn a lesson from it
不幸な歴史の本物の解決は、それを忘れないことと、それから学ぶこと。(私の相当いい加減な和訳ですので、原文読んでくださいね。この記事の和訳、全部についてそうです。)

he hoped Japan pursued“sincere self-reflection” and“squarely face the truth of history and justice with the universal conscience of humanity”
彼(文大統領)は日本が「真摯な自己反省」と「歴史の真実に正面から向き合う事と、万人共通な人間性の良心による正義」を追究することを希望した。 (私の相当いい加減な和訳 以下同文)

“I hope Japan will be able to genuinely reconcile with its neighbors on which it inflicted suffering and will walk the path of peaceful coexistence and prosperity together,” he said.
日本が迷惑をかけた隣国らと真に和解できるようになり、平和な共存とお互いの繁栄の道を歩むことを希望する。
(私の相当いい加減な和訳 以下同文)

などが印象に残りました。

それから、この記事を読んだ全体の印象は韓国の文大統領の主張がまっとうな印象があること、それに対して日本側の言動はほとんど印象に残る部分が無い感じがしました。


【私の考えたこと。。。慰安婦問題と今の日本の女性への犯罪の問題】

私は慰安婦問題って、日本人の女性への考え方が深くかかわっていると思っているから、ちょうどひな祭りだしこの記事を書くことにしました。
学生の時、電車の中や通学路で痴漢にあったことが何度もあってすごく怖い思いをし、しかもその時に反撃できずにすごく悔しくて今でも忘れられない心の傷になっています。
こういう所は私が日本の大っ嫌いなところです。(好きなところももちろんたくさんあるけど)
しかも今状況が良くなっているのかなあと思うと、女性専用車両ができて良かったなあと思うのと同時になんだかおかしな人達が女性専用車両を批判していたりして、いったいなんだよ、と思います。
電車内の嫌がらせはすいている社内でも起こります。
私は前残業で遅くなったとき、すいている電車の中で男性にいやがらせされてすごく怖かったことがあります。

ネットでも、Be aware of CHIKAN in Japan! なんてみると、、Chikanって英語になっているのか、、、うへぇ。と思いましたよ。


今の日本のこういう状況を鑑みると、私、日本の政治の要職に居る人達が慰安婦問題を心から反省しているなんて絶対思えないんですよね。
もう反省なんか無理なんじゃないかなあ。見ないようにするとか、改ざんするしかしないんじゃないかなあ、って気がしてくるんです。

今の、女性に対する犯罪も過去の慰安婦問題も、同じ女性に対する犯罪に関してだから、日本人の女性への考え方が同様に反映していると思うのです。

そして、Reutersの英語記事を読んでから同じ記事を日本語で検索してみてみました。
上の記事は日本語のロイターのサイトではまだ日本語訳が出ていないです。

日本語で、関係するキーワードで検索した結果を少し読んでみると、やっぱり上位に検索に引っかかってくる文章は相当印象が違うんですよね。英語のReutersの記事と真逆な印象。日本に肩入れしている。日本人に都合の良い事が主に出てくる。韓国を批判するようなのが上に出てくる。意図してそういう印象を与えようとしていると感じました。

やっぱり主に英語の記事(日本向けに書かれたものではないもの)だけ読むようにしよう、と思いました。

(3/5追記)
日本語の記事だけ見ていたら、偏った報道だけ見ることになってしまう。それは絶対に避けたいです。

(3/6-26追記)
キーワード comfort women japan で検索して、ウィキペディアと、韓国と日本の関係のメディアを除いて、最初に出てきたのが上のReuters の記事で、次にできたのが下のThe Washingtonpost の記事でした。

https://www.washingtonpost.com/news/democracy-post/wp/2018/01/22/japans-prime-minister-could-solve-the-comfort-women-issue-once-and-for-all-so-why-wont-he/?utm_term=.ffea2098f0c3

題は、”Japan's prime minister could solve the 'comfort women' issue once and for all. So why won't he? ” 
(日本の総理大臣は慰安婦問題を最終的に解決できただろうに。なんでしないの?  )by Jeff Kingston

Jeff Kingston is director of Asian studies at Temple University Japan.

ジェフ キングストン氏はテンプル大学日本校 アジア研究の理事。


この記事は日本(の総理)に対してとても批判的に書いてあります。部分的に少し引用させて頂きます。

The presidency of Donald Trump has triggered an unprecedented collapse of Brand America and sets the bar exceedingly low for global leaders. Yet Prime Minister Shinzo Abe, Trump’s closest if not only friend among them, deserves special scrutiny for his recent refusal to apologize to South Korea over the horrors endured by tens of thousands of women treated as sex slaves by the Japanese military during the 1930s and 1940s.
ドナルドトランプ氏の大統領就任はアメリカという商標の前代未聞の崩壊の引き金となり世界的な指導者たちに対して非常に低い基準を設定することになった。
その中でも、今なお、総理大臣シンゾウ アベは、もしトランプ氏の一番親密な友人であるならそればかりでなく、1930~1940の間に日本軍が幾万もの女性を性奴隷として扱った恐怖に耐えた韓国へ彼が最近謝罪拒絶したことに対して、特別に精密な調査に値する。
韓国と日本の関係には「そのことは知っているよ」という様相がある。
これらの敵友達(frenemies)は、決して彼らの共有する過去について両国が受け入れられる理解に到達することがなかった。
今日、真の和解は韓国の民主化によりさらにつかみどころのないものにさえなった。
1990年代まで、韓国の独裁主義的政府らは歴史を籠に閉じ込めてきた。それは日本による韓国の植民地支配の間の侮蔑的待遇と虐待への暗黙の償いとして韓国政府らに莫大な経済的援助を与えてくれる東京と良い関係を築くために歴史論争を避けるためだった。
しかし自由選挙により選ばれた政府の到来は、くすぶっていた民衆の憤りを解き放ち、韓国人らは彼らが耐えてきたことへの認識を求めた。
政治家らは政治的な利得のために、これらの未解決の不満を利用することで応じた。

Japan has changed, too. The rise of revisionists such as Abe, who embrace an evasive and exculpatory view of history, complicates Tokyo’s relations with Seoul.
日本もまた変わった。
逃避的な、罪の意識を失わせる歴史観を取り入れるアベの様な修正論者が増えたことが、東京とソウルの関係を悪化させる。

Japanese conservatives also play the history card to whip up their base, and Abe has been at the forefront of this movement to restore pride in the nation by whitewashing Japan’s Asian rampage (1931 to 1945) and trying to recast it as a war to liberate Asia from Western imperialism. At least 15 million Asian ghosts haunt that outlandishly rosy reinterpretation.
日本の保守らもまた彼らの支持母体を煽るためにその歴史カードで遊び、そしてアベは、日本によるアジアでの大暴れ(1931から1945)をごまかし西洋の帝国主義からアジアを自由にするための戦争としてそれを焼き直しすることによりこの国で高慢を復活させるためのこの活動の先頭にいた。その風変わりな方法による楽観的な再解釈には、少なくとも1500万人のアジアの幽霊たちが、出没している。

2015年の終わりには、この三国(米、日、韓)の同盟が結びつきを強めるために歴史を乗り越えさせようとするワシントンからの圧力のもと、東京とソウルはわだかまっていた”慰安婦”問題の解決を目指した協定を締結した。 ”最終的な不可逆な”と押し売りされたにもかかわらずこの外交上の詐欺は、民衆の圧倒的な拒否によるだけでなく被害者への共感を欠くものであったから破滅を招いたのである。

東京は、生存する被害者、当時46人、の手当のために約9百万ドルを払うと保証し、ソウルはこの問題を国際的にしないことに同意した。加えて、韓国はソウルの日本大使館からの通りに市民グループにより建てられた慰安婦像の撤去を確実にするよう努力することに同意した。この像の移転の失敗は、もう一つ釜山の日本領事館に隣接して建てられたことと同様、日本を激怒させた。明確な見返りが規定されていないにもかかわらず東京は、ソウルは実行するだろうという期待のもとそのお金を支払った。

しかしながらその協定は合法性を欠いている、なぜなら前者の慰安婦らはその手続きから除外されてしまったから。更に、安倍は公務の謝罪をしそびれ、パククネ前大統領に電話で済ましただけだった。誰も彼にヴィリー・ブラントを引き合いに出し膝をつくことを期待していない、しかし確実に最も辛い日本の植民地主義の遺産は、自責の念を表現する個人的な対談の報告よりもずっと大きな意思表示を求めている。

去年(2017)5月の彼の当選のすぐ後、文在寅韓国大統領はその協定の再調査を求めた。
2017年12月に韓国政府により選ばれた審査員団は次のような結論に達した。:
”戦時中の女性の人権に及ぶ国際標準として確立された、被害者を中心としたアプローチは、この交渉段階に充分に反映されていなかった。”
実に、この交渉は裏で管理されて管理されていて、甚大な歴史的不正を誠実に処理するというよりは神経質なミサイル取引の様だった。

これは正に文在寅が繰り返し述べているこの協定の内容と過程の欠陥の理由である。
1月4日に彼は元慰安婦等に会いパク政権の裏切りを彼らに謝罪した。
世界中の多くの人達が(日本での人達も含めて)彼の同情に同感の頷きをし、その同情はこの報償の取引- 脅され欺かれて軍の売春所で働いた女性に卑劣な厳しい試練に耐えたことを黙らせるためにお金を払うという取引- の中に完全に欠けているものであった。

今月(2018年1月)初め、文在寅はこの協定に経緯を払うことに同意し、しかしまたアベに心からの謝罪を含め更にこの問題を解決するための行動を促した。
1月12日、アベはそうすることを拒み、そして東京はその法的立場に固執している。
日本政府は文在寅がこの協定をこのような公衆のやり方で害したことに怒り狂っている。
不和と双方の罪のなすり合いが復活したことは小さな驚きだ。

アベは一人の政治家として彼の像に磨きをかける機会を失っている。
彼は韓国とともに、前者の慰安婦、彼らの親戚、擁護者の貧窮に気を使う被害者中心の公衆のやり方で従事するべきだ。

いよいよさらに、国際社会は戦時下の、特に女性が苦しんだことがこれまで無視されてきたことに理解を示し、彼女らのトラウマを扱う新しい規範を確立しつつある。
今や日本は彼らに、彼らとすべての韓国人がそれに値する共感を示すことにより歴史の正しい方向に向く、そして、それによって他の国にその国の罪を見定めることを示唆するチャンスを持っている。

Alas, Abe’s empathy deficit dishonors Japan and its victims while keeping bilateral relations, and the trust crucial to alliance cooperation, on ice..”

ああ、アベが"相手の立場で考えること”が不足していることが日本とその犠牲者の恥辱となっている、同時に2国間の関係、同盟協力への鍵となる信頼が保留にされた。                    (私の適当な全文訳ですので元記事参照お願いします。英文の引用は部分的にしかしていません。2018 4/8)


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ちょっと忙しくなったのでしばらくブログお休みします。
原発事故からのがれ東日本から中国地方へ移住。東電、政府、国は事故の責任を取れ!


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